2026年5月20日水曜日

超かぐや姫! レビュー

注意:ネタバレはないけれど映画作品への軽微な言及はあります


 「超かぐや姫!」というヒット作品について、ことさら説明する必要はすでにないと思うので割愛する。白状すると、本作品を観るつもりは全くなかった。よくあるタイプのラブコメなんだろうな、と思っていたし、話題であれば距離を置くという、生来の天邪鬼な性格もある。

 観た理由を言ってしまえば、「スティール・ボール・ラン」を観るために契約したNetflixの、料金がもったいないので何か他にも観よう、というただそれだけだった。たまには話題作に触れるのもいいだろう、と何気なくクリックしたのが、最後だった。

 前半は、良質ないいお話だなあ、と思って観ていた。今の時代のアニメにありがちな、作為的だったり、露悪的だったりする要素がなく、作画も演出も、声も音楽も素晴らしいし、今どきこんな作品があるんだなあ、と思って観ていた。

 そして、ああやっぱりそういうお話になるよなあ、と思ってしんみりし始めたところで、予想と違う展開が始まった。

 何だこれは!

 からの、

 どういうこと!?

 からの、

 お前何言ってんの!?

 という怒涛の展開。SFコメディだと思って観始めたけれど、そうではない。これは青春物語であり、そして正真正銘のSF作品だ。

 本作に対して書きたい事は色々あるけれど、まったく意外な方面からの、素晴らしいレビューがあったので紹介する。麒麟・川島氏が「超かぐや姫!」への感想を、こんな風に表現されていた。

 「この作品でないと流れない涙」

 ああ、これ以上のレビューはないな、と思った。唯一無二、音と映像と物語が奇跡のように一つにまとまっているのがこの作品で、言ってしまえばレビューを受け付けない名作。百万言を費やして言葉で飾り立てる事もできるし、重箱の隅までほじくり返して考察することもできる。けれど、観て感動する事以上の体験はないし、すでに映画評論家の仕事はないと言っていい。なので僕もあれこれとは書かない。未見で、観る機会と手段がある人は今すぐ観てくれ、としか言えない。

 ひとつだけ深く感じたことを書くなら、主人公三人のなかでもっとも強く感情移入したのがヤチヨだった、という人は多いのではないか、と思う。何をかくそう僕がそうだ。どうしても行きたい場所があって、どうしてもそこに行く手段がなく、ずっと暗闇の中でもがき続けるような感覚。そんな物語から、エンディングテーマの「ray」に繋がる構成は、見事すぎて表現の言葉が見つからない。

 いろいろなテーマが本作品にはあると思うけれど、そのなかの一つは「救済」ではないだろうか。

 まさか、こんな作品に死ぬ前に巡り会えるとは思ってもみなかった。そんなふうに思えるほどの良い作品で、正直言って今年観てきたいくつかの作品は、「超かぐや姫!」のおかげで月光のかなたに霞んでしまった。逆説的にレビューするなら、他の作品が観られなくなる危険をはらむという意味では、観ないほうが良い作品かも知れない。

2026年5月14日木曜日

自由創作同盟

  結論から述べるが、僕は生成AIによる「クリエイティブ」な活動には、根本的かつ完璧に反対の立場だ。少なくとも今後、自発的にそれを行う事は絶対にない。

 白状すると、生成AIを利用して作品を出力した事はある。たしか2021年の暮れだったと思うが、「AIのべりすと」という小説生成サービスを用いて、興味本位でアニメ作品のパロディ小説を出力してみた。

 その段階では生成AIが何をやっているのか、理解していなかった。ただ、AIが吐き出す文章というのもどこかの時点で内容が頭打ちになる事がわかり、それなら自分の頭で考えた方が早い、と気付いて、2022年はじめ、人生で初めて書いた小説がこの作品「メイズラントヤード魔法捜査課」第1話、「下院議員殺人事件」である。執筆にあたって、AIに頼る必要性は砂粒ひとつぶんも無かった。普段漫画を描いている自分が、未熟(正規表現などを知らない、といった事も含めて)でありながらも小説を書ける、という驚きがあった。そこからは書くことが楽しくなり、翌2023年の1月から7月にかけて、全187話・116万文字に及ぶ女子高校生のフュージョンバンド物語「Light Years」を書き上げ(労働をしながらだ!)、小説執筆2年目でWEB小説大賞の一次選考を通過した。

 そして、小説を書き始めることと並行して浮かんだのが、生成AIとは何をしている技術なのか? という疑問だ。辿り着いた事実は、それが高度に複雑化された剽窃システムである、ということだった。

 生成AI肯定論者は言う。それは人間が何かを学習して、模倣する事と同じである、と。

 冗談も休み休み言ってほしい。生成AIはデジタルデータと無機物のハードウェアによって構成された、感情や人格、主体性を持たない「システム」である。我々(アマチュアの僕が言うのも烏滸がましいが)クリエイターは、オリジナルに触発されて学習し、自らの欲求と創造性に基づいて、「自らの責任で」創作を行う。この時点でAI、そして「生成AIクリエイター」などと称する人々とは一線を画している。彼らはクリエイターではなく、単なるクライアントである。これは主観ではなく、ただの客観的事実だ。指示に従って、データセンターが収集したデータを、心なきアーティストが継ぎ接ぎして出力しているのだ。

 5000兆歩譲って仮に生成AIが人間のクリエイターと同等である、と認めるにしても、そうなると今度は人間のクリエイターと同様に、著作権に注意を払ってもらう必要が出て来る。人間のクリエイターだって、模倣の度が過ぎれば訴えられるのだ。生成AIだけはそれを見逃してもらう特権がある、とでも言うつもりだろうか? 生身のクリエイターと同等だというのなら、同じ責任を負うべきだろう。

 たとえプロ、それも僕自身が敬愛しているクリエイターであろうとも、生成AIをその仕組みを理解したうえで肯定したのなら、批判の対象になる。生成AIを活用するプロダクションに参加した、広井王子氏がそうだ。僕にとって「魔神英雄伝ワタル」は、人生の何割かを占めるほど深い思い入れのある作品であり、それを生み出した広井王子氏が生成AIの軍門に下ったというのは、救世主ワタルがドアクダーと手を組んで神部界を侵略し始めたのに等しい。どれほどショックだったか、もし広井王子氏がこれを読んだら、わかっていただけるだろうか。天国の芦田豊雄氏は何と言うだろうか。

 生成AIを利用しなければ時代に取り残される、という意見に対しては、取り残されたらどうなのだ、としか思わない。少なくとも作品を生み出す事に関していえば、僕は生成AIなんか全く必要としないし、そんなものに頼らなければ文章ひとつ、絵一枚も創れないクリエイターなど、二流、三流にすぎないと白状しているに等しい。

 僕に言わせれば生成AI、そして発展型のAIエージェントなどという代物は、馬鹿を大量生産して少数のエスタブリッシュメントが支配するための下地作りだ。AIを使わなければ取り残されるぞ、今すぐAIの使い方を覚えろ、答えは全てエージェントに訊け、というPRに踊らされて、特定の企業(そしてそれと結託した政治家)によって恣意的にコントロールされたプログラムに誰もがお伺いを立てる。そんな世界、少数の支配者にとっては天国ではないか。YAHOOのニュースにコメントを残したことがある人間はわかると思うが、特定のワードを打ち込むと、もっと上品な言葉を使いましょうと指導してくる。AIは公平でも何でもない、企業の意志に従う奴隷である。もう、80年代のディストピアSF映画だ。

 世界中で莫大なリソースを投入して各国が鎬を削る分野が間違っているはずがない、と思うかもしれないが、それなら世界の指導者たちが間違っているのだ。指導者が間違いを犯すはずがない? 本当にそうなら、ホルムズ海峡の惨状と茶番など説明がつかないだろう。かつて世界中で共産主義思想に多くの国が取り憑かれた結果、生まれたのは夥しい独裁国家だ。それに近い事が起こるのではないか、と僕は危惧している。そういえば以前、生成AIは個人の才能と成果物を吸い上げて分配する「才能の共産化」だ、とSNSで揶揄されたこともあった。

 生成AIの行き着く先はどこか。僕の危惧が単なる妄想で、何も起こらないのならその方がいいが、すでにデータセンターの乱立による環境破壊、公害、水やエネルギーの争奪という事態が現実のものになっている。AIの台頭で最初に一番儲けるのはエネルギー企業ではないのか?この事態に呼応する形で、僕はいま、ひとつのSF小説を書いている。22世紀の荒廃した世界が舞台の「エリコの方舟」という作品だ。べつに読まなくてもいいが、当然執筆には生成AIなど用いていない。

 タイトルの「自由創作同盟」は、田中芳樹「銀河英雄伝説」の自由惑星同盟のパロディーだ。生成AIという帝国主義に対抗する「叛徒」、といったところだろうか。今のところ僕一人だが、同盟に参加するには、それを表明するだけでいい。リーダーもいないし、集会も開く事はないし、お金も一切かからないが、一人ひとりが表現者の自由と誇りと尊厳を掲げる事が条件だ。